待ちわびたお昼休みのチャイムが鳴り響く。
僕は大きく伸びをして、すでに冷めてしまったコーヒーに口をつける。
デスクの引き出しからスマホを取り出すと、メールが一通来ていることに気づいた。
差出人は、ハヤマさん。
『調査に行かないか?』
(調査!?)
『何の調査ですか?』
おおよその検討はついているものの、念のため確認してみる。
すぐさま、ハヤマさんから返信が来る。
『それはもちろん…』
--------------------------------------------------
現着した僕たちは、駐車場に車を止めて、お店へと足を運ぶ。
「うわあ、けっこう人がいますね」
「新しいお店だからね。想定内でござるよ」
「…お昼休み中に会社に戻れますかね?」
「そのときは、そのときで Let it be. ということで」
ハヤマさんは、今日もお気楽だ。
「ええと…ICHIFUKU…」
「つけそば一福~Rei~!ここが、今回の調査対象さ」
「ああ、やっぱり、ラーメン屋さんのことでしたか」
「そう!さすが!わかっててくれて嬉しいよ」
「でも、調査と言っても、具体的には何をするんですか?」
「お店の営業時間や雰囲気、どんなラーメンを提供しているのか、使われているのは、細麺か太麺か、スープはこってり系かあっさり系か、女性同士でも入りやすいか、などなど、調査項目をあげて言ったらキリがないな。そう、それから…」
ハヤマさんは、饒舌かつ高速で答えると、突然、お店に向かって走り出した。
「え?ハヤマさん!?」
慌てて後をついていく。
「ふう、危うく後手に回るところだった」
そう言いながら、ハヤマさんはペンを手に取る。
「人がバラバラに立っていたから、もしやと思ったが、やはりか」
「順番待ちは、ウェイティングスタンド方式なんですね」
思わす横文字を使ってしまったが、ファミレスなどによくある、記帳台に名前と人数を書いて順番を待つスタイルのお店のようだ。
「順番待ちはどのように行うのか。これも大切な調査項目の一つさ。これでよし…さあ、楽しい楽しい待ち時間の始まりだ」
ハヤマさんは、とにかく切り替えが早い。
ポケットからスマホを取り出すと、最近始めたというドラクエウォークを起動した。
「はぁ…ゴールドが足りないんだよなあ、ゲームでも、現実でも。ままならない世の中ですなあ」
「ところで、ハヤマさん」
「ん??」
「このお店『一福』って名前ですけど、もしかして、あの『一福』と関係があるんですか?」
「おお!いいところに気づいたね。さすが我が魔王!世界の半分をくれてやってもいいよ?」
「いや、仮面ライダーでもドラクエでも、この際どんな立ち位置や世界観でもかまいませんけど、やはり、そういうことなんですね!」
「醤油こと。うん、しょーゆーこと」
『あの一福』というのは、創業約40年を数える甲府市伊勢にあるレジェンドつけそば店『一福』のことだ。
山梨県で『つけそば』といえば、甲府市中央にある『中華レストランさんぷく』
そして、この『一福』を誰もが思い浮かべるであろう。
喉ごしのいいちぢれ麺に、素材の旨味が凝縮された透明感のあるつけ汁。
つけ汁の中から見え隠れするチャーシュー、メンマ、ネギに海苔。
ほどよい酸味と鶏出汁の旨味が、優しく身体に染み渡る。
『一福』は、以前、ハヤマさんに連れて行ってもらったことがあり、僕はその名前と感動的な味を覚えていたのだ。
「けっこう待ちそうだし、少し話をしようか」
ハヤマさんは、スマホに目を向けたまま、ぽつりぽつりと、話し始めた。
「伊勢にある一福の店主は、女性だったでしょう?」
「はい、店主も従業員の方々も、みなさん、女性でしたね」
「あそこのお店は、もともと、あの女性店主の旦那さんが始めたお店なんだよね。その昔、甲府の中心街にある『さんぷく』っていう、つけそばがおいしい中華レストランで、その旦那さんが修行を積んで、のちに、独立して出店したのが一福なんだ」
「一福のルーツは、さんぷくにあり。ですか」
「うん。だけど、ある日のこと。旦那さんが、病気になってしまってね。やむなく、一線を離れることになったんだ」
僕は、黙ってうなずく。
「そこで、後継者として息子さんがお店を任されるようになった。だけど、それも長くは続かなくて…息子さんは、若くしてこの世を去ってしまったんだ」
「…………」
「それでも、お店の味を途切れさせることを望まなかった旦那さんは、闘病中にも関わらず、奥さん、つまり、今の女性店主に、亡くなるまでの半年間、スープの作り方を伝え、お店を託したのさ」
「…………」
「だからかな、一福のスープの味が、とても優しいのは。来る日も来る日も、変わらない仕込みで、早朝から何時間も丁寧に煮込み続けるスープ。変わらずにいること、変わらずにいようとすること、それは、とても難しいことだと思う。すべてのことは、いつか、変わってしまうものだから。それでも、旦那さんと息子さんが残した味を、彼女は今日も守っている。これが、どれほどすばらしいことか」
「…………ぐすん」
「……おいおい、泣くなよ」
ハヤマさんは、ハンカチを取り出して、僕に渡した。
「あー、お願いだから、鼻水は浮かないでね」
「ぷっ…わかってますよ」
ハヤマさんがあまりに真面目な顔で言うものだから、思わず吹き出してしまった。
少し悲しい話だけど、このような背景を知ることで、そのお店のことが、もっと好きになれる気がした。
「2名様でお待ちの、ハヤマさまー!!」
若い女性店員からお呼びがかかった。
「はーい!」
ハヤマさんは元気に返事をすると、店内へと歩を進めた。
なんだかんだで、30分は待ったと思う。
ハヤマさんの話で、時間間隔がマヒしていたが、腕時計の針は12時40分を指していた。
ようやく入れた店内は、カウンター席が7席。4人掛けのテーブル席が2席あった。
お店に入った右奥から、男性陣のにぎやかな声が聞こえてきたので、僕の目の届かないところにもいくつか席があるのだろう。
茶色をベースにしたカフェのような雰囲気の店内。
暖色系のぶらさがりタイプの間接照明がオシャレだ。←語彙力w
案内されたテーブル席に腰を落とすと、もはや恒例行事、ハヤマさんはメニューとにらめっこを始めた。
お冷はセルフサービス。テーブルにグラスとピッチャーが置いてある。
僕が二人分のお水を汲み終わったころ、
「よし!決まった!」
と、ハヤマさんは顔をあげる。そして、僕にメニューを渡してくれた。
メニューの内容を要約すると
・まずは、「つけそば」もしくは「支那そば」からメインを選択
・「無印」「味玉」「特製(味玉+チャーシュー+のり)」からベースを選択
・「つけそば」は、「一福 醤油スープ」と「澪 おさかなスープ」の二種類
・支那そば:大盛り可、つけそば:大盛もしくはダブル可
・支那そばの麺は、通常はちぢれ麺、ストレートにも変更可
・つけそばの麺は、太麺もしくは細麺を選択
・ランチセットあり(餃子+小ライス)
・小ライスは、無料でレギュラーサイズに変更OK←もはや、並ライスw
ちなみに、メニューの裏側は、ドリンクメニューとなっている。
「うーん…毎度のことながら悩む。どうしよう、どうしよう、どうしよう」
メニューを眺めてみたものの、なかなか決めきることができない。
「どのビールにしようか迷うよね。キリン?アサヒ?サッポロ?最近ハマってるのは…」
「いやいや、飲みませんからね、ビールは!!」
「やっぱり、アサヒスーパードライかな。心も体もシャキッとなりますぞ」
「平日!お昼!午後から仕事!ワカリマスカ!?」
「あー、もー、おカタイですなあ。じゃあ、何にそんなに悩んでいるのさ?」
「…つけそばにしようか、支那そばにしようか、です」
「あいかわらず、優柔不断ですなあ」
ハヤマさんは笑いながら水を飲み干すと、グラスにピッチャーでおかわりを注いだ。
「そういうハヤマさんは、何にしたんですか??」
「私は、『おさかなつけそば(細麺)』+『小ライス』に決めましたよ」
「…じゃあ、僕もそれにします」
「なんだか妥協したみたいな感じだけど、後悔しない?」
「後悔するときは一緒ですよ(笑)」
「え、何、そのネガティブな仲間意識(笑)まあいいか、お腹すいたから早く注文しよう」
ハヤマさんは、右手を小さく上げて、店員さんへ合図した。
悩めるということは、選択肢があるということだ。
それは、すなわち、一定の自由があるということ。
しかし、自由とは不便なもので、それを与えられた途端、どうしていいかわからなくなる人が世の中には確かにいる。
明日、突然、会社が休みになったらと、想像するのは楽しいが、実際に休みになった場合に、何かしたいことがあるかというと、特に何かあるわけでもない。
惰眠を貪り、それでも時間を持て余し、無意味にテレビの通販番組を眺めているだけで、気がついたら、日が暮れていて、まだ水曜日なのに、サザエさんシンドロームを感じたりして。
一方で、その自由を巧みに、もしくは、自然と謳歌できる人たちもいる。
だが、少なくとも、僕は、前者のタイプの人間だ。
決断力と行動力がどうにも足りない。
「おーーい!!起きてる???」
「うわっ!いきなり何するんですか!」
ハヤマさんが、急にウェットティッシュを僕の顔に押し付けてきた。
「だって、これから美味しい(であろう)つけそばを食べるのに、難しい顔してるからさ。平穏(ヒラオ)くん、たまにそういうとこ、あるよねー。どんだけーーー!!」
「ああ、いや、すみません、少し考え事を…」
「叫べ若者よ。礼儀正しく生きたって、いつか人は死ぬんだぜ」
「え?」
「園子温さんの言葉。考えることも大切だけど、まずは、『今』を楽しもうよ。おいしいつけそばを楽しみましょうよ、若者よ」
「…そうですね!ああ、急にお腹すいてきたなぁ」
どこかから借りてきた言葉であっても、それを誰かの口から直接聞けることは、幸せなことだと思う。
「お待たせしました。おさかなつけそばに小ライスです」
女性の店員さんが、つけそばをトレーで運んできてくれた。
そういえば、このお店も、伊勢の一福と同様に、店員はみんな女性だ。
ラーメンは男の料理!みたいなイメージを軽々と壊してくれる店内の雰囲気は
陽だまりの公園のベンチのように優しい。
「…美しい」
テーブルに並べられたつけそばを見ると、ハヤマさんがうっとりと深いため息をもらした。
「撮影会するので、お先にどーぞー」
ハヤマさんは、スマホをポケットから取り出すと、今日一番の真剣な表情で、ディスプレイを見つめる。
…うん、仕事してる時よりも、顔が真剣なんだもんなあ。
「では、お言葉に甘えて、いただきまーす!」
まずは、ちぢれ麺を箸で一掴み。
麺は、ツルツルと滑るため、しっかりと箸で固定する。
つけ汁の表面を覆うように浮かんでいるネギの壁を突き抜けて、麺をダイブさせる。
すぐさま引き上げると、スープとネギ、そして、スープの底に沈んでいた刻みタマネギをちぢれ麺が引き連れてきた。
丼に顔を近づけて、麺をゆっくりとすする。
「おいしい!!!」
一福のつけそばの醤油味をベースとしたスープに、煮干しの味が追いかけてくる。
想像していた酸味はなく、煮干しの旨味がスープを濃厚なものへと昇華させている。
それでいて、すっきりとした味わいが担保されている。
麺を咀嚼するたびに感じる、シャキシャキとしたタマネギのアクセントが心地よい。
(止まらないな、これは!)
あっという間に、麺が皿から消えていく。
トッピングのメンマやナルト、カイワレ、海苔もスープとの相性がバツグンによい。
低音ローストされたチャーシューをつけ汁に浸し、ライスの上に乗せて食べる。
至福を具現化したかのような行為に、僕の舌が、喉が、大喜びしている。
「一福エボリューションって感じだったね」
顔をあげると、すでにハヤマさんは完食していた。
あいかわらずのスピードだ。
「そうですね、まさに、一福を進化させた感じですね。新しくも、よきところはそのままという感じで」
「このお店の店主さんも、伊勢の一福で修行をしたんだってさ。だから、『一福』って名前を使ってる。そして、澪〜Rei〜という名前から生み出された新しい味。この『おさかなつけそば』から、決意とか意気込みとかを感じ取ることができるよね」
「そうですね」
「こうして、伝説はまだまだ続いていくんだろうね。伝統を受け継ぐとともに、さらなる高みへと向かっていく。嬉しいな、この味が、またしばらくの間は無くならないってわかっただけで」
僕は黙って頷いた。
この世界に永遠なんて存在しない。やがて失われる味もあるのかもしれない。
だからこそ、今と向き合って、今を楽しもう。その味を、楽しもう。
心に刻み込まれた味の記憶は、思い出は、少なくとも、この人生の最期までは続いていく幸福なのだから。
そして、叶うのならば、どうかこの一つの幸福の形が、誰かをまた幸福にするものでありますように。
「……えええええ、またですか?」
気づいたら、涙が頬を伝っていた。
ハヤマさんは、再びハンカチを取り出して、僕に渡した。
「あー、お願いだから……」
ちーーーーーーーーーーん!!!!!
もはや、ハヤマさんの言葉は耳に届かなかった。
そう、これは、抗えぬ本能、なのだ。
「…まあ、いいか」
ハヤマさんは、少し寂しそうな表情を浮かべて窓の外を見た。
今日も、痛いくらいの、快晴だ。
--------------------------------------------------
店名:つけそば一福 ~澪~ TSUKESOBA ICHIFUKU ~Rei~
住所:山梨県甲府市朝気2-1-23(正確な住所は確認中。甲府信金朝気店の近くです)
電話:055-244-6505
営業時間:[月~土] 11:30~15:00
定休日:日曜日・第3木曜日
食べログの山梨県のラーメン総合ランキング→未登録(2019.10.30現在)
★ハヤマさんが食べたもの★
・つけそば 澪 おさかなスープ おさかなつけそば@細麺(810円)+小ライス(100円)
→つるつるのちぢれ麺と、一福の醤油スープをベースにした煮干しつけ汁の相性は
バツグン!
つけ汁のトッピングは、ネギとタマネギのダブルネギ。
ちなみに、ハヤマさんの好きなアイドルは「Negicco」だからね。覚えておいてね。
トッピングは、メンマ、ナルト、カイワレ、海苔、チャーシューだぞ。
つけ汁とライスの組み合わせも最高。
伝統を昇華させた次世代のつけそば、ここに顕現!って感じです。
0 件のコメント:
コメントを投稿